悪性リンパ腫の、身もフタもない話

悪性リンパ腫です。→それ、いくら払ったらいいんですか?

2020年11月29日 父への報告

社会復帰 3週間経過

 久々の書き込みになりましたが無事です、すみません。元気に生きています。


 社会復帰して3週間、新たな仕事を憶える楽しさ半分、苦しさ半分。
 何とか3週間経過して迎えた週末、久々に実家に帰ることにした。

 父は仕事の関係で、11月の中ごろに10日ほど、関西に滞在していた。
 コロナ潜伏期間の様子を見て帰ってみると、相変わらず畑仕事に精を出していた。


 畑仕事にキリをつけて家に戻ってきた父と、関西に住む弟たちの話をした。
 2つ年下の弟(次男)とはもう5年、11歳離れた弟(三男)とは8年も会っていない。
 ちなみに私が長男。

 次男の子供の最年長は大学生になることが決まったらしい。
 次男は私より早く、23歳か24歳の頃に結婚しているので当然と言えば当然。
 しかし月日が流れるのは早い。。

 三男は相変わらず独身を謳歌しているらしい。
 もうすぐ35歳、その頃の私も同じだったなぁ。


 しかし、どのタイミングで話を切り出そうか。。

 
 話は父の仕事の話に移る。

 高速道路に関係する会社の顧問である父は元警察官。いわゆる天下り、ね。
 その、警察官当時の武勇伝を話す父は上機嫌。
 今のようにモニター室がない中、皇室の車両を誘導するため、無線だけで高速道路の
 開閉をコントロールする司令塔の役割の話。
 昔は職人技だったけど、今はモニターを見ながら誘導できる世の中になった、と。
 半分は聞いたことある話だけど、気持ちよく喋ってもらった。

 ひとしきり話を聞いた後、
 

 会長 「ところで、俺、異動で仕事が変わったわ」
 父  「なんや?」
 会長 「建築積算をすることになったわ」
 父  「積算な、積算って言ったら・・・」
 
 今度は父の勤める会社の関連会社の社長が横領した話が始まった。

 お父ちゃん、俺の話を聞いてくれ。

 と言いたかったが、初耳の話なので一通り話を聞いた。
 横領社長の横領は発覚して初めて知ったようだが、食事に連れて行ってもらった
 こともあるようで、ひとしきり話した後、宙に視線を投げて微妙な表情をしていた。

 少し間が空いた。


 会長 「ところで父ちゃん、ひとつ報告があるんやわ」
 父  「なんや?」
 会長 「俺、病気に罹ってしもうてな。悪性リンパ腫っていう血液のガンなんや。
     でも、すぐに死ぬとか、そういうのじゃなくて、長く付き合う病気で、
     多分、お父ちゃんたちが生きている間は何もないと思うわ。
     入院が必要なんやけど、実はそれはもう終わってる。
     この前(実家に)帰ってきた後すぐ3週間入院してたんやけど、
     入院してる間、コロナの関係で誰とも面会できんから、入院が終わったら
     伝えようと思ってな、遅くなったけど」

 とりあえず、一通り説明した。

 祖父(父の父)がガンで亡くなっただけに、「ガン」に敏感な父だから、とりあえず
 すぐ死ぬような心配だけはさせないようにしようと思った。

 父  「それは、遺伝性の・・・なんかか?」
 会長 「いや、たぶんウィルスがらみと違うかな、この前、ピロリ菌の話したやろ」

 父  「ステージはなんぼや?」
 会長 「普通のガンと悪性リンパ腫のステージは考え方が違うんやけど、
     言ってしまえばステージは4。体全体に広がってるけど、これに罹ったら
     ほとんど薬で治すしかないから一緒。グレードっていうのがあって、
     それは1で一番軽いやつ。でも、一度治癒したように見えても5年、10年
     経ったら再発するかもしれんから、ちょっと長い付き合いになる病気やわ」

 父  「痛みとかはないんか?」
 会長 「全くないわ。首のリンパが腫れんかったらわからんかった」


 父が気にしてくれたのはこんなところかな。
 一通り話し終わり、すぐに命に係わることでないと理解したら、最後に、

 父  「なんや、死ぬんじゃなかったら言わんでええわ」
 会長 「でも、言わんかったら『なんで言わんかったんや!』って言うやろ」
 父  「じゃあ、死ぬときは教えてくれ」


 これで父への報告は終了した。

 表情には何も出さない父。
 職業柄か、ポーカーフェイスが得意な父。
 子供の頃、正月にお年玉をかけて父に挑んだポーカー。
 裏をかかれてばかりで勝てなかったのは懐かしい思い出。
 
 多分、母や祖母には何も伝えないと思う。心配かけても仕方がないし。
 そこは父に任せよう。

 でも、誰にも話せんかったら父がしんどいかもしれんから、弟二人には伝えて
 おこうかな。。


 昼食の後、畑での収穫を山ほどもらって家路についた。


 見送ってくれる時、父の

 「ほな、体に気をつけてな」

 の言葉が、ずしっと染みた。