悪性リンパ腫の、身もフタもない話

悪性リンパ腫です。→それ、いくら払ったらいいんですか?

2020年10月3日 両親への伝え方

前回までにかかった費用

 2020年 9月 医療費計:90,280円 その他:700円
 2020年10月 医療費計:24,230円 その他:100円

 

虫の知らせ?

 前日(10/2)、父の差し金で、母から電話が入る。

 ブドウの季節が終わるから、最後のブドウを取りにおいで、と。

 

 実家が数年前から副業で作り始めたブドウが最近、立派な実をつけだしたのだ。

 実家は県内、車で1時間の距離。

 つい2週前に顔を見せて大粒のピオーネをいただき、ご近所さんにも味わって
 もらったところだったが、再びの召還。

 

 ここ数日で状況が大きく変わり、両親にはまだ何も伝えていない状態。

 入院してしまうと少なくとも3週間は顔を見せることはできない。

 

 これも必然なんやろう。

 そう考え、明日午後、時間を作って会いに行くことにした。

 

2020年10月3日 午前 長男の運動会

 以前から休暇の申し入れをしていたこの日、入院準備にかこつけて、しれっと休む。

 コロナの影響で保護者が密集しないように配慮された、午前中のみのプログラム。

 無駄はない。

 2年生の息子は、表現(ダンス)と60m走のみ。

 しかも序盤にすべて終わるので終わったら入院生活に向けての買い出しだ。

 

 最前列に陣取り、息子の雄姿を一目見ようと構えるも。。

 

 息子よ、どこにいるのだ?

 

 マンモス校の運動会を消化するため、徒競走のピストルは容赦なく鳴り続ける。

 

 息子 「一位か二位にはなるからな、三位かもしれんけど見といてな!」

 私 「どうやったら早く走れるか、教えたろか?」

 息子 「知ってる、こうやって手を振るんやろ!」

 

 昨日聞いた、息子の張り切った声が頭をよぎる。

 

 息子よ、何位でもいい、ただ、いつ、どこを走るのか教えておいて欲しかった。

 

 

 目を凝らし、執念で探した結果、シルエットで息子を認識。

 ゴールに駆け込む20m手前から録画することに成功した。

 

 …四位でした。うーん、妥当かな。

 

 そして、、表現(ダンス)もどこで踊ってるのかわからん!

 曲の中盤で見つけ出したと思ったら、全員が外周に散った。

 息子が行った先は、まさかの対角。

 

 でも、幼稚園のころに比べたら、ちゃんと自主的に踊れてて、力強くて、
 それがみられただけでも安心した。

 

 妻は両方とも見つけることができなかったと。

 

 妻 「去年は確か、どこで踊る、とか走る順やコースの案内があったはず…」

 

 出番が終わって一旦、帰った自宅。

 息子のランドセルからは、ご丁寧に色が塗られた案内状が出てきましたとさ。

 

入院に向けての買い出し

 午前中、残された時間は少ない。

 一番の目標は電気カミソリを買うこと!

 なかなか強情な髭のため、これまでは5枚刃のT字カミソリを愛用していた。

 しかし、抗がん剤使用中はケガに注意しなければならないため、皮膚にやさしい
 電気カミソリの使用が勧められていた。

 

 私 「電気カミソリって何円くらいすると思う?」

 妻 「2~3,000円と違うの?」

 私 「5~6,000円とか、1万円以上するのもあるで」

 妻 「そんなにするの!」

 

 店頭を見て愕然。1万とか序の口、3万、5万、何がすごくてそんな値段するの?

 まぁ、ピンキリ。小市民な私は、税抜き3,980円で手を打った。

 

 あと、耳にやさしいイヤフォンとか、100均で洗面器や石鹸ケースなど、こまごま。

 

 買うもん買って、息子をピックアップ、実家にGo!

 

2020年10月3日 午後 両親に会う

 向かうは山奥の限界集落、70歳の父も数年前まで若手と言われていた、そんな場所。

 

 実家は祖母と父と母の三人暮らし。

 祖母は歩行器を使ってやっと歩けていたのだが、今回帰ってみると入院していた。

 腰の骨を痛めたらしい。再び歩けるようになるのだろうか。。

 母は若年性のアルツハイマーが進行中。父がいないと探し回るという。

 なので、炊事の多くは父の仕事。

 その父は、町内会の役をいくつも持っており、定年退職後に戻った実家で畑や
 田んぼに精を出している。

 実家は父が支えている。

 

 父は、私が生まれた時から警察官だった。それを定年退職まで貫いた。

 厳しい父で、小学生のころ、悪さをしようものなら「表で立っとけ!」と怒鳴られ
 家を追い出されたこともある。

 今なら虐待、と言われるかもしれないけれど、当時はそれが普通だった。

 弟と二人、泣きながら立たされる中、しばらく経つと決まって母が出てきてくれ、

 「お父さんに謝りなさい」と、仲裁に入ってくれた。

 父は厳しい父親像を私たちに見せようとしていたのだと思う。

 でも本当は、母から「いつも、お父さんが『おまえ、見てこい』って言うんよ」と
 聞いていた。心配性な父。でもそれは知らなかったことにしている。

 

 母の若年性アルツハイマーが進行する中、昨年、健康診断で「乳がんの疑い」、
 との診断が下された。

 それを父が私に打ち明けてくれたとき、

 「どうして母さんにばっかり、こんなことが起こるんや…」

 と、初めて悔し涙を私に見せた。

 

 検査を進める中、母の乳がんの疑いは晴れ、事なきを得た、のだが。。

 

 私が入院すると3週間、コロナの影響で家族でさえ面会できない。

 入院直前に「ガンです、でも大丈夫やから」と伝えたとして、、この心配性の父は
 どんな思いをするんやろうか。

 

 

 実家に到着してじいちゃん(父)の畑に駆けていく息子。

 父はいつも通り、畑の手入れに精を出していた。

 

 父 「お前、首どうしたんや?」

 私 「ちょっと痛めてな」

 

 前日に手術した首元をタオルで隠しての帰省だったが、目ざとい父は気づいたけど、

 傷口は見せてないのでそれ以上細かい追及はなかった。

 

 毎度、たくさんの野菜をお土産に持たせてくれ、あらかじめ確保していたブドウも

 車に詰め込み、一仕事終えた父は冷えたビールを冷蔵庫から取り出し、飲み始めた。

 

 前回帰省した際はピロリ菌除去中だったため一緒に飲めなかった。

 

 私 「飲んでもいいか?」

 妻 「いいよ」

 

 帰りの運転は妻に任せて、私もビールを一本、一緒に飲んだ。

 

 両親には、退院してから伝えることにした。

 

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