悪性リンパ腫の、身もフタもない話

悪性リンパ腫です。→それ、いくら払ったらいいんですか?

2020年10月24日 大切な家族と死。死生観について3

初めて受け止めた死

 前回、親族の死は祖父母しか経験がない、と書いたのだけど、それは全て社会人に
 なって以降の話だから、人間の死を自分に関わる事柄として受け止めたのは、
 経験として遅い方になるのではないかと思う。

 物心ついて最初に受け止めたのはペットの死。小学校1年の頃に飼っていた仔犬が 
 交通事故で死んだときのこと。

 

 父親が警察官で、当時、地方の駐在所(交番と家が一体になっている建物)に家族で
 住んでいた。どういう経緯か忘れたけど、1匹の仔犬を飼うことになり、『コロ』と
 名付けて可愛がった。近所の人達からも「駐在さんのところのイヌ」として人気者に
 なっていた。

 当時は当たり前のように放し飼いにしていたのだけど、家の裏は空き地で遊ぶ場所
 には事欠かず、遠くに行くこともなく、田舎の道を飛ばす車もないのでコロに
 とっては伸び伸びとできる環境だったのではないかと思う。

 

 ある日、家族で車に乗って買い物に出かけた。いつも通り、家の前でしっぽを振る
 コロに見送られて。それがコロを見た最後の姿だった。

 買い物を終えて帰ってくるとコロがいなかった。弟と一緒に自分たちの知る近所を
 「コロー、コロ―!」と呼びながら探し回ったけど一向に出てくる気配がない。
 親は、ごはんの時間になったら帰ってくるだろう、と言っていたけど、待てど
 暮らせど帰ってこない。

 夕方、再び探し回っていると、駐在所の窓口に、近所の人がやってきた。

 「県道におるの、駐在さん所のイヌと違うか?」

 親たちがそんな話をしている。普段、私たちが歩かない、車の通りが多い県道。
 私たちが走っていこうとすると、

 「お前たちは行くな」

 と、父に制止された。父はその時、もうどういう状態か把握していたのだと思う。

 
 父は犬小屋のあった場所に穴を掘ってコロを埋めたと教えてくれた。私はもらった
 木の板に「コロのおはか」と書き、弟と二人でその上に立てた。見つめていると
 涙がポロポロ、止まらなかった。

 その後、コロの墓には、花や古銭が供えられていたのを覚えている。近所の人が
 置いてくれたのだろう。みんなにかわいがられた駐在所のマスコットだった。

 

死を認識する年頃

 昆虫やヘビ・カエルなど、哺乳類以外の動物と哺乳類の死が同じ「死」であることを
 認識したのはいつの頃だろう。哺乳類の中でも、毎日命をいただいている牛や豚と、
 犬や猫のようなペットの命の重さに違いはあるのだろうか、人間の命は?

 多くの命の終わり「死」を自身の身近な事柄として体験し、そんなことを自問する
 時期が、人にはやがて来るのだと思う。

 自分が子供のころは、振り返ると、自然や環境を通じて、気づかなかったところで
 多くの生死を体験をすることができていたのだと思う。

 

 では、自分の子供はどうだろうか、と考えてしまった。

 

 「最近の子供は外で遊ばずゲームばかりして、外に出ない」

 「ゲームの中で敵を倒す=殺生することは命の軽視ではないか」

 

 自分のことは棚に上げて?

 自分だって、ゲームにドはまりしたし、ボンバーマンで飽きることなく友人を
 こんがり焼きつくした。

 でも一応、人として道を踏み外してないし、人なりに小難しいこと考えて偉そうな
 こと言えてるじゃん。

 

 それより自分の問題は、すでに自分が実行した得た経験をもとに、

 

 「アリがかわいそうだから踏みつぶしちゃダメ」

 「餌あげないと、メダカが死んじゃうよ」

 

 と、先回りして失敗しないようにフォローすることで経験の機会を奪っていること
 なんじゃないかなぁと、最近思う。

 

 先日、小学校2年生の息子が「焼き肉が食べたい」と言ったそうな。

 焼肉はいつも私が担当していたので妻はお膳立てするつもりはない。

 「自分でしなさい」と言ったら、フライパンを使って自分で焼いて食べたと。

 

 自分だってそうだった。彼らはもうわかり始めている。

 私がすべきことは、過保護ではなく、ただ、経験の機会を用意することだ。

 

自分の死について、妻との会話

 自分が悪性リンパ腫に罹ったとわかる前から、お互い、死に直面した時の医療行為に
 ついての考え方は共有している。

 命の危機に瀕したとき、回復を目的とした治療のための医療であれば受ける、
 一時の延命のためであれば生命の維持は不要(緩和ケアは希望、ね)。

 

 「死ぬなんて話、縁起でもないからするな」

 

 なんて言っていたら、望まぬ延命治療を受けるかもしれない。

 酸素マスクをつけ、管から栄養を摂取し、動くこともできずベッドで床ずれを作り、
 痛みを和らげるためにモルヒネを打ち、意識がどこにあるかもわからない、なんて
 状態は望んでいない。

 だんだん食が細くなったとしても、動かず、徐々に弱って、眠るように死ねたら
 理想。昔、縁あって読んだ人の死の間際に関する本には、北欧(今では欧米諸国)
 では一般的な考え方、とあった。

 実際、「スウェーデン」「寝たきり」のキーワード検索で記事はいろいろ出てくる。

 → スウェーデン 寝たきり でGoogle 検索

 

 生きることは目的か?

 それが目的なら、さんざん稼いだ自分の金をバンバン医療費に投じていくらでも
 延命すればいいと思う。国のお金は使わずにね。

 

 目的があって生きたい人を救ってくれる、ここがそういう国だったらいいな。

 

死の話はタブーか?

 死の話はタブーではない、「私は」そう思っている。

 死ぬことができるのは生きているから、死ぬことと生きることは表裏一体だから。

 生きていく話をするのと同じように、死んでいく話が自然にできればいい。

 

 子供が生まれてから、生きていくことの目的の大部分は子供の成長に向けられた。

 最初、自分の知っていることを全部子供に伝えて、子供にはその上にさらに知識を
 積み上げて高みを目指してほしい、と思っていたんだけど、知識を全部伝えるなんて
 できるわけはない。おこがましい。

 自分の親に生きる方向性を指導してもらったことはない。ただ、私はその背中を
 見ていただけ。

 親となった自分にできることも、その背中を見せることくらいかなと。

 子供が見て恥ずかしくない生き方をして、恥ずかしくないように死んでいこう。

 少なくとも、子を持ったからには。

 

 これが「今の私の」死生観。かな?

 

 

 話があっちこっち行ったけど、これが死生観と言えるのか否かわからないけど、
 入院したからこそ、じっくり振り返って考えることができた。

 

 入院もまぁ、悪くない。

 

 

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